先週の土日のことですが、私の使っているメソッドを更に深く勉強するための、
アドバンス・コースにどっぷり浸かっておりました。
日曜日、授業を終えて、
ロンドンからやっと電車に乗って帰路に着いたところ。
4人がけの向かい合わせに座る椅子に、
40代くらいのお父さんと10歳くらいの小さな女の子と一緒に座り合わせました。
最初は、どんな人が座っているのか、気にもせずに、
空いている席だったので、座ったのですが、
途中から、私の隣に座っているその男性が、何かを言い始めたのです。
前に座っている女の子が、彼の娘だと気が付かなかったので、
独り言を言う人かしら~
とちょっと不審に思っていたら、
ほどなくして、彼が彼女に話しかけていることが分かりました。
その女の子は、お父さんに甘えたかったのに、
お父さんは、タブレットでゲームをやっているのです。
そして、ゲームをやりながら、
彼は、「今日はとても忙しい日を過ごしたのだから、
ゾーンアウトしたいんだ(何も考えずにぼーっとしたいというようなニュアンス)。
ゲームをしているのだから、話しかけるな」
と繰り返し言うんです。
声も、ビジネスライク、というか、冷静な感じ。
そればかりか、
「こういうことを言っても、罪の意識は感じないからね。
だって、僕は疲れているんだから。」
と言ったんです。
私はその時点で、ぎょっとして、
え、そんなこと、こんなに冷静な口調で、繰り返し繰り返し、
まだ10歳くらいの女の子に言うなんて、ありえない!
そう思って、彼の顔をさりげなく見ました。
うーん、メガネかけてて、痩せ型で、なんか、融通のきかなさそうな人!
(メガネかけてて痩せ型の男性の皆さんがそうと言っているわけではないんですよ~。念のため。)
ゲームのオタクなのかしら。
どんどん私の妄想は広がっていきます。
目の前には、明らかにしょんぼりしている女の子の顔。
お父さんは、水をリュックサックから取り出して、
「飲む?」
と聞きますが、
彼女は、そんなものいらない!とでもいうように、
首を横に振っただけで、
ふてくされて窓の方を見ています。
もう、日曜日の夕方だって言うのに、
いや、日曜日の夕方だからか、
こんなに寂しい場面に出くわすなんて、
と思っていました。
特に、ホメオパシーのコースを受けた後というのは、
疲れ切っていますが、
興奮しているし、
とってもいい刺激を受けて帰ってくるので、
ポジティブなエネルギーをバンバン出しているはずの私の隣に、
こんな可愛らしい女の子に寂しい思いをさせる父親が座っているなんて!
娘よりゲームの方が大事なんて、ありえない!
と思っていました。
ある駅に到着すると、
大量の人々が降りて行ったので、
私は隣の6人がけに移動しました。
すると。
その女の子、私の座っていたお父さんの隣の席に座りなおしたのです。
そうしたら、そのお父さん、大きなハグを彼女にしながら言ったんですね。
「さっきはごめんね。お父さん、本当に今週は忙しかったんだ。」
って。
それから、ずっと彼女のことを抱きしめながら、
彼女の話に耳を傾けていました。
そして、ずっと彼らの会話は続いていきました。
もう、軽蔑の目を向けたこと、取り消します。
私にこんな素敵な光景を見せてくれて、ありがとう。
っていう気持ちで一杯になりました。
ごめんねってあんなに素直に言えるのって、
素敵だなって。
ゲームオタクではなくて、
本当は愛情深いお父さんだったんだっていうことが分かった時に初めて
きっと、本当に大変なことが仕事か何かであったのだ、
って、理解できました。
ストレスやトラウマが重なり続けた結果、
そして、そのストレスやトラウマを、
一つ一つ解消しないままに、
次のストレスに対応しないといけない状態が続いた果てに、
人は深刻な病気になります。
でも、こうやって、ごめんねって、
その場その場で相手に伝えられていたら、
そして大きなハグをしていたら、
女の子の寂しい気持ちも、その時点で解消されるので、
この女の子のトラウマになることはないでしょう。
このお父さんも、罪の意識を感じ続けることはないでしょう。
デジタル時代に生きる私たち。
人間性が希薄になりつつある
人間との関わりに関心がなくなること
から起こる病理が蔓延しつつあります。
色々なストレスは、
この希薄な人間関係が起因している場合も多々あるのです。
そんなことを最近考えていたところに、
日曜日の夕方の小さな光景が教えてくれました。
人と人の間のコミュニケーションの大切さを。
愛情をきちんと相手に伝えることのパワーを。